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07年の山行記録 その1
藤田 信 ‘06年秋のヒマラヤトレッキングでフラフラになって帰国し、 体力回復に努めながら年が明け、 少しずつ体を慣らそうとぼつぼつの山行を再開した。 今までの様に「山と(高山)チョウ」の撮影を兼ねた山行から始め、 体力がほぼ回復した6〜7月、 もっと鍛えようと近場の丹沢・奥秩父や 奥多摩等の所謂“藪山”を遮二無二歩き回った。 が、暑さに耐えるだけが“困難さ”の“藪山”山行に いささか辟易し、自ずと「雪と岩のヒマラヤ・その気高さ」を思い起した。 それからは、“山とチョウ”の撮影は もっと歳を取ってからでも出来るだろうからと、 暫らくは止めよう。 そして“暑さに耐えるだけ”ではなく、 少しは高尚な“困難さ”に立ち向うべく、 南アや八ヶ岳でせめて樹林限界以上や 出来れば雪を求めた山行をと、 “困難さの程度”を高めるように努めた。 ただ何れも単独行である事と年齢的な事とで、 “避けるべき危険性”は多くなり、 “飽く迄立ち向うべき困難”は その限度が年々低くなってしまう。 辛い現実だ。 これが川西が云う「歳相応の山行」と言う事なのだろう、 甘受せねば・・・。 3.26(月) 晴 石砂山(580m、 丹沢山系の北端・神奈川県藤野町) 岩殿山(634m、奥秩父山系の南端・山梨県大月市) “春の女神・ギフチョウ”を探したが、 今年は寒く未だ羽化していない。 3.28(水) 快晴 犬目丸(861m) →扇山(1,138m) →大久保山(1,109m) いずれも奥秩父山系の南端・ 山梨県上野原市、大月市 富士山を背景にして 写真-1「春の女神・ギフチョウ」が撮れた。 4.13(金) 曇 高尾山(599m) →景信山(727m) →北高尾山稜・富士見台(570m) 奥多摩山系・東京都八王子市、山梨県相模原市 最後の下山路で地図が間違っており、 終バスの無くなった暗い道を3時間も歩いた。 ![]() 写真-1 春の女神ギフチョウ 4.21(土) 快晴 焼山(1,060m) →黍殻山(1,273m) →袖平山(1,432m) 丹沢山系、 神奈川県相模原市 1,000m付近から積雪、 袖平山では踝を没するほどに積っていた。 一昨 夜積ったらしい“春の名残雪”、 久しぶりに雪の上を歩けた。 なお“焼山”の名は、この辺りが将軍(徳川)家の狩場で、 毎年山を焼いた事に由来すると言う。 4.27(金) 快晴 立場沢、飯盛山・平沢山(1,650m) 何れも八ヶ岳南東端 ヒメギフチョウを探したが標高1,300mで+1℃、 寒くてチョウはいない。 平沢山頂からの展望はちょっとしたもの、 八ヶ岳・南ア(甲斐駒・鋸・北岳・間ノ岳・鳳凰三山)・ 木曽駒・浅間・富士。 ![]() 写真-2 (南)八ヶ岳全景 5.3(木) 快晴 八ヶ岳・払沢、立場沢 再度ヒメギフチョウを探したが、 やはり寒くていない。 ![]() 写真-3「朝日に輝く金色の甲斐駒ケ岳」が遠望できた。 6.1(金) 曇 蛭ケ岳(1,673m):丹沢山系の盟主 神ノ川・日陰沢橋(6:00) →風巻ノ頭(1,077m) →袖平山(1,432m) → 蛭ケ岳(11:20) →ミカゲ沢ノ頭(1,421m) →臼ケ岳(1,460m) → 金山谷ノ頭(1,344m) →檜洞丸(1,600m、15:00) → 熊笹ノ峰(1,523m) →神ノ川・日陰沢橋(19:00) 丹沢山系の核心部の一端を歩いた。 風巻ノ頭への登りは丹沢山系で最も きついと云う。 風巻ノ頭は地形上一年中風が吹くので その名が付いたそうで、 確かにここだけは風が強い。 蛭ケ岳山頂は素晴らしい展望のはずだが ガスで何も見えない。 「蛭ケ岳山荘・ 山岳救助犬」の名札を付けた 人懐こい黒柴犬がいた。 世話になる事もあろうかと、 弁当を分けてやった。 蛭ケ岳←→檜洞丸は、 丹沢山系で最も高低差が激しい(最大400m)と 云う。 12時間行動と、丹沢山系で最もきつい核心部の為か 熊笹ノ峰からの降りで両膝が痛くなり、 ストックに縋っての下山で随分時間を要した。 ![]() 写真-4 御正体山東尾根からの蛭ケ岳 その2へ>> <<HOME |